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枢やな画集 黒執事2
枢やな画集 黒執事2 (JUGEMレビュー »)
枢 やな
なにこれ見たことないんですけど!?という一枚は良く見たら描き下ろしって書いてあった。そうでございますか・・・ありがたやありがたやと思わず手を合わせてしまう一冊。一冊目より最近の絵が多いので期待してましたが期待以上だったそしてアニメイト特典がまたすごかったありがたやありがたや。
今年はまたミュージカルあるしね! 誌上先行当たったことないけど当たりますように!
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シミーズはいま何処によせて。
 ドールとなんら関係のないっぽいタイトルですがいずれなんとなく意味が通じますのでもう少々お待ちくださいご無沙汰してますRangです。
 
 少し前の話になりますが、「○○沼」という言い方が好きじゃない、という話題を見まして、個人的には好きでも嫌いでもなかったので、あえて「嫌い」「苦手」と思う方の意見を色々見ると、ようするに「沼」という言い回しはネガティブなイメージなので使って欲しくないということだと私は理解したわけですが、このあたりは基本的に全て主観的な話なので、「なんとなくいや」の域を出ませんからそれをネタにするのもどうかなと思いつつそういうところを真剣に語ってこそのねちっこい暇つぶしが大好きなのでそういうの好きな方お手伝いください、ああ、猫が邪魔をしますが続けますもふもふ。

 私がアメリカに旅立った頃、つまり高校二年生の頃はまだ「BL」という言葉がありませんでしたが、9年後で日本に戻ったときにはかつて使っていた「やおい」という言葉は疾うに廃れて久しく、私はぎこちなさを感じつつ、新しい言葉を使うことを余儀なくされました。最初どんなに「BL」って言うの照れくさかったことか!! ま、それはそれとして、やおいのそのまた前は「少年愛」だと思いますが、この言葉に関しては、未だに「少年愛」と「BL」は別物、というこだわりをなんとなく持っています。やおいは、単に廃れただけって感じですが。
 何が言いたいかっていうと、言葉は時代と共に変化するものなので、そこに定義を持っていても周りがその定義を知らなければ通用しないものなので、逆に定義が変化してしまえば、自分の主張そのものが通らない可能性が高い。ここで踏ん張るか、まいっかとなるかで流れが変わりますが、そこまでこだわらずとも、いずれ勝手に動き始めた空気に混じってしまい何がなんだかどうでもよくなることが多いと思うわけです。
 実際に、例えばどこぞで「沼」という地名だった場所は、次代の流れで「沼」部分を削られていきますが、これはその土地がそもそも沼地だったということが現代に伝わると地価が下がる要因になるので改名されて「○○丘」みたいななんとなくポジティブな地名になってたりするので、沼がネガティブだというのは現実的に言えばそうかもしれません。ただし、現実に存在する「底なし沼」を、比喩として使う場合、それがネガティブかポジティブかは使う側の意識の問題かと。

 「沼」を文字通り「底なし沼」と考えるなら、「底なしにはまる」→「底なしに楽しめる」→「奥が深い」→「お金がない」→「ああ楽しい」まで行ければ「沼」かどうかはもう関係なくなる。

 これは沼をポジティブに捉えた例。
 では私が「沼」を常用するかと言うと、それはNOです。なぜか。いや・・・だからね・・・自分の中に言葉が染み付くのってそんなに簡単じゃないんですよ(笑)。私にとって何かをコレクションすることは「沼」という感覚ではないし、それはまだ「はまる」という表現のほうがしっくりくるのでまだ使えません。
 ネットで「○○クラスタ」という言葉が定着してきた頃、私はこの言葉をよく知らなくて、だからこそ「黒執事クラスタでしょ」と言われると「黒執事ファンです」と言いたくなりました。だもんで未だに使えません。ちなみに「ふぁぼる」の意味を未だに知りません。新しい言葉にそう簡単に興味を持てなくてそして馴染めなくなった・・・歳のせいかしらやーねもう。

 少し気になったことがあるとすれば、それはいくつかの意見の中に、「ドール沼=湯水のように金を使う」という認識を持っている方が少なくないようだったので、そこだけは、散財することが良くないこと、という発想は気概がなさすぎる気がして私は好きじゃないなと思った次第。なぜならば、人形趣味はお金がかかるものだからです。私も最初はショーウィンドウに飾られたトランペットをみつめる少年のような気持ちでドールを見ていた時期がありました。

「欲しい・・・でも自分には過ぎた品だ。買えるわけがない」

 と諦めたあの数年間。
 しかし、一旦買ってしまったら、あんなに憧れていたひとつのトランペットだけでは満足ができなくなり、より理想に近いものがないかと多くのものを買い集めることになりました。これがドールだから、あくまでも趣味だから、ということでネガティブに感じられるのなら、その人はきっと誰かに、何かに罪悪感を感じながら趣味を続けている人間に違いありません。音楽家ならわかること、レーサーなら? より良いマシンを手に入れるのにお金を湯水のように使うのを躊躇うでしょうか。お金がかかるものに手を出すということは、もちろんお金をかけなくてはいけないのです。それがネガティブだというのなら、ストラディバリウスの立場ないよね。私のヴァイオリンだって数十万したんすよ! へっぽこでも良い楽器で弾きたいよ(笑)。

 その散財で支えることができる業界がある。物に対してお金を使わなくなったら良い作品は生まれない。我々はもっと散財するプライドを持っていいと思う。我々は投資家なのだ! そうなのだ! これでいいのだ、ただし、お金をかけたからといって、それが絶対ではない。ハリウッド映画見たらわかるでしょ(笑)。シェンムーの悲劇もある。FFの映画もそうだ・・・。が、金をかけるか時間をかけるのか愛情をかけるのかに甲乙もない。アプローチの違いだけでしょ。本人が選べばいいこと。

 「金で買えないものがある」

 というのはよくドラマや映画で聴く台詞。金で買えないものを尊いと思う考えは、一見崇高ではあるが、盲目的だと思う。俗物の私は金で買える範囲のものこそ人生には必要だ。

 少なくとも、誰かの血と汗と涙を吸った作品を前に、

「なんでこんなに高いの?」

 という無神経な台詞を吐かなくて良い程度には私は自分が理想とする人間でいられているので十分に幸せだ。

 沼だろうがなんだろうが、表現はどうだっていい。
 
 私には好きなものがある、それは金で買えるが、けして安いものではない。
 そして、残念なことに私の給料はそれを余裕こいて買いまくれるほどの額ではない。
 が、それでも一定の投資をすればそこから「底なし」に楽しめてしまうのは、それが高いものだからではない。
 安かろうが高かろうが、趣味を昇華させるのは絶対に「才能」なので、そこだけは金では買えないよね。
 
 ちょっと考えた。
 「沼」が嫌な人は、自分の好きなものに「沼」を使われることが嫌なようですが、例えば自分がマニアックな趣味に走ってる場合、「オタク」と呼ばれることも嫌なのだろうか。ここって、やはりこだわりがどこにあるかだと思うんですけど、「ニートじゃない、自宅警備員だ!」ってのとなんか違いますかね。オバサンなのに「オネエサンでしょ!」という主張と同じく、いやそこはさ・・・決めるの自分なの? 他人なの? ってのは、個々の意識によるってことで。そして、その個々の意識はコントロールできないし、してはいけない。コントロールしたいならいいんですけどね、それ、やったら大変ですよ、出来る人なら悩まずにやってるはず(笑)。

 そんな中・・・今月すごーく欲しいお人形がいたのですが、諦めたのです。先日死んだ猫の代わりに、新たに子猫を二匹育てることにしたので、お金の使い道が変わっただけですが、好きなものが多いってのは、いずれにせよお金かかりますな! 幸せだ! お人形にはまた巡り会うチャンスあるけど、生き物に代わりはいないので優先順位優先順位。

 あ、そうそう、タイトルの話ですが。シミーズって今なんていうの? スリップも死語でしょ? キャミソールは短いでしょ? という話を一回り下の後輩と話てなんですが・・・答え出なかったんです(笑)。
 だから・・・言葉の衰退とともに、文化も衰退するものがあるので、「沼」も来年あたりはもう違う名前になってるよそんなもんだよあんまり深い意味ないですよきっと(笑)。
| ドール考察 | 23:48 | - | - | pookmark